2021年4月5日 水と電気のはなし (1)

生活

 

村では、日常的に断水している。朝、午前4時に起きれば、シャワー浴びれるが、5時半ではもう遅い。このまま夜の9時過ぎにならないと、水は出てこない。特に最近はこれが慢性化している。水道局から『断水のお知らせ』など何もなく、原因が何なのか、いつになったら回復するのかの説明もない。

 

コートジボアール水道供給会社のロゴマーク

このように気を揉んでもしょうがない。村では数年来こうなのだそうだ。待つしかない。2,3時間待てばいいんだろう、最初はこれくらいに考えていたらそれは甘かった。朝から夜まで蛇口ひねって一滴も出てこない。常にバケツに水を溜めておかねばならない。貯めてあった数個のバケツも終わっていた。断水が2日も3日も続くと間に合わない。飲み水はミネラル水を買わなければならない。遠方の古井戸から水を汲んできてもらったが、どこの家からも水を求めて殺到するので、底に残っている茶色の濁りきった水。

赤茶色の粘土水は私にはどうも使えない。40度以上の毎日が続く中、シャワーも浴びれず、トイレの始末もできない。便利な生活に慣れていた自分、こんな環境から逃げ出したいと思うこともある。ずっと村でやっていけるのかと不安になる。周りの人に愚痴をいっても、みんなが困っていて、みんなのぐちぐちは、持って行き所のない愚痴でしかなく、何も改善しない。どうしたらいいのだろうか。

むかしむかし、集落のあちらこちらに井戸があり、人々は井戸水で生活していた。フランスの植民地となり統治されていた時代を経て、独立後に近代国家建設が進み、開発が押し進まれた1960年以降になると、コートジボアールは、カカオ、コーヒの一次産品輸出により経済が成長して、象牙の奇跡と呼ばれた。道路、水道、電気などインフラの整備が進んだ。給水塔が立ち、水道に頼るような生活になった。コートジボアール水道供給会社は独立の年、60年に設立され、le groupe eranove というフランスの会社が運営している。旧西アフリカフランス領植民地であるコートジボアールの公共設備、電気、水道の運営管理を担っている。

つまりここから請求書が送られてきて、ここにお金を払って水を買っている。で、なんで、自分のところの水をよその国が吸い上げて管理するのか?

しかも水供給は破壊的な現状なのに、請求書だけは、きちんきちんとくるというのが、悩ましすぎる。請求書の配達人も、クレームを一身に浴びるのを承知しているので、泥棒のように各家庭にこっそり配りにくる。でも配達人には結局のところ責任はない。組織本部の命令で、金を集めてこいと、端た金で使われているにすぎないのだから。

                        督促状

3ヶ月毎の支払いを怠ると、次にやってくるのは赤い督促状。メーターをとり外すから早く支払えというもの。

 

独立したと言っても、コートジボアールは、未だに植民地のままなのだということが端的にわかる事例だ。これはコートジボアールだけの話ではなく、他のアフリカ諸国も似たり寄ったりらしい。

ところで今、水に苦労しなければならないのは、村の人口が増え、当時の給水塔では賄えなくなったから、、ということもあるのだろう。本当のところはわからない。ヤカセメ村には電気が通っている。しかししょっちゅう停電する電気だ。すると、水をくみ上げるのは電気だから、停電と断水はセットになってやってくる。最近は特にひどい。

昨日から電気も水もなく、今日の午後にビユーンと突然に電気がついた。そして突然の強風が吹き始め、雷まじりの豪雨と続く。雨季に入ったからだ。そして、電気が消えたり、ついたりでパソコンが消えたりついたり。自然に翻弄されている。人間なんて、自然の前で、いかほどのものでもないんだ、と考えさせられる。

それにしても、水の確保に村の人々はなぜ声をあげない? 村役場というのは対応できないらしい。役場は何をするところだろう。では伝統的な村長はどうだろう。植民地になる前の時代、村を治めていた伝統の村長制度や王様制度は、独立後も名ばかりは存続している。ちなみに我が家の隣人は村長さんである。この村長さんも、ああ、困ったことだ、、と冷静に構えているだけで何もできないでいる。

 

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