今日も4時起き、あっ、けさは水が出ている。するとこっちも希望がわいてくる。急いで洗濯始めた。それもつかの間、しばらくしたら、蛇口からの水はショボショボの勢いになって、ああもうちょっと待ってよ、ソデシさん(コートジボアールの水道供給会社)に心の中で、手を合わせながら、どうにか下着、タオル、ズボン、軍手は ゆすぎまでこぎつけた。もうシャワーの余裕はない。表面積のせまい顔だけショボショボの水で洗って、歯もちょこちょこっと磨いてよしとするか。。。
外はまだ真っ暗。最近は日の出が遅くなってきた。窓を開けたら、ひんやりした空気が入ってきて、深呼吸する。気持ち良い。外に出ると、庭のあちこちからネコたちが、しんなり、ひょんなりと現れる。
大小混ぜて6〜7匹。このネコ家族の構成について。もともとは、知人が、生まれたばかりの姉妹ネコ2匹を置いていった。別に所望したわけでもない。ネズミ対策にいいわよ、とのことらしかった。数ヶ月経って、そのうちの姉か妹の胴回りが太くなったな、と思っていると、彼女の姿を見かけなくなった。「子供だろうよ」という。
さて、うちの敷地の地つづきには、ゴージャスな風体の未完成の邸宅がある。40年来の廃家となったのは、持ち主が亡くなり、柱と屋根と壁と廊下と部屋の振り分けまでで、レンガ積みが中断したらしい。たまたま持ち主の未亡人と知り合いなので、使えるスペースを使わせてもらっている。人がすまない家というものは、ありとあらゆる生き物たちのすみかとなる。何かお化け屋敷のようで、とんでもなくおっかない。ここに足を踏み入れるのは、びくびくもの。
数日後、この「お化け屋敷」の物置の奥の隅から、ミャ〜ミャ声がするという情報が入った。見に行ったらダメよ、と言われたので、えんりょしてそっとしておいたけれど、やっぱり覗きたい。いた。いた。小さいのが母ネコの下に見え隠れしている。4匹が生まれたのだ。
やがて『分娩室』を出て、親子はうちの敷地に戻ってきて子育てが始まった。まつわりつく子ネコの毛づくろいしていたかと思うと、母ネコはグルンと体を横たえて寝そべる。4匹は夢中ではい登り、手というのか足というのか、とにかく2本の前足をピストン運動させている。授乳のひと時なのだ。すごいテクニックでおどろいた。生まれつきこういうテクニックが備わってる。母ネコは眠いのか、うとうとしている。至福のひと時なのかもしれない。
2ヶ月ほど経ったら、しかし母ネコは突如いなくなった。子らはその頃には『乳ばなれ』していた。で、4匹の兄弟姉妹は特に母を探すわけでもなく、自然に美しく大きくなった。
クロとタイガー
ミケ
また時が経ち、次世代のミケとグレーが母になってそれぞれが一匹、二匹と産んだ。
グレ親子とミケ親子
さて、ここで一つ気にかかること。父親は? オス猫はどこにいる?2世代にわたって、出産という一大イヴェントが起こったのに、メス猫しかおもてシーンに現れないこと。どこのオス? これを気にしていると、「そんなこと普通よ」と言われた。私は的外れなことを気にしているらしい。社会学的な分析の好きな夫は一歩進めてこうも言っている。「母ネコがいなくなったのは、ひょっとしたら、近親相姦を避けるための 自然の摂理なのかもなあ」 たしかに、そうかもしれない。
ミャーミヤーとこっちの顔うかがっている。ごはんもらえる? まさかこんな早朝に?という目つきで。いえいえ、こちらの勝手な思いだろう。何者にも属さず自由奔放に生きている。初めの頃は寝床とトイレを用意してあげた。良い共生関係を、、などと思っていたけれど、そんな生易しいものではないと諦めた。村ではどこの家でもだいたいネコがいる。自由に広いスペースの庭や広場、共同の炊事場などを行き来している。人間にすり寄ってくるのは、食べ物を探しているから。炊事場で魚をさばいている横に ネコたちは群がってくると、特に叱られるわけでもなく、さばいた骨などをもらっている。まわりにいる昆虫や、トカゲなどを、捕まえて食している。落ちてきたパパイヤもかじっている。ご飯や残り物もあげている。蛇、ネズミ退治してくれるのはいいけれど、ところかまわずウンチされるのは困る。ネコは身綺麗な生き物で、ちゃんと後始末する、という常識はうちの七匹にはないようだ。人間社会に都合の良い「しつけ」しなかったからか。
そうこうするうち、3日前からミケがいない。エレガントな美しいミケ猫なのでミケと呼んでいた。
どうしたのだろう。今日も一日中現れない。まだ乳飲み子がいるのに、、。ミケの姉妹の、つまり叔母にあたるグレが世話するのかと、思ったが、そうでもないみたいだ。
グレが自分の子らに授乳していると、ミケの子はそばにくるけれどお乳はもらえないらしい。
すごすごとグレのそばから離れていった。
そして一人ぽっちでいる。
さてさて、不思議なネコの世界、人の世界も不思議だけれど。
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